今思い出してみると、いつだってシンプルが真実でした。
思うような結果が出ないとき、その問いを根本から見直すと、前提から間違えていたってことがなんどもあって、その時の状況といったら大抵は事態を想定して過ぎていたり、複雑な仮説を立てていたりしています。
上手くいかない、思うような結果が出ない。気合も根性も役に立たない。
これはいったいどう言う状況か。
別に上手いことを言おうとしているわけではないのですが、「問題に溺れている」この表現が一番適切だと思います。
もがくほど沈んで行って、息ができなくて、苦しくなる。
本当にこんな感じなんですよ。
こんなことは昔から何度もあって、いまだにそれが生かせていない。
とはいえ、自分が溺れているとを自覚できるようになったのは大きな収穫で、これに気がつくことができれば、あとは力を抜いて、呼吸をするために海面に出ていくようなものです。
そうしたら自分の悩んでいた問題をできる限りシンプルなものに構築し直します。
一番シンプルな説明は、不必要な過程を加えていない可能性が高く、的確な主張が多いのです。。
もちろん、稀に的を得ていないシンプルな主張もあるので、そういったものには注意をする必要があります。
例えば、コロナとインフルエンザを比較する兄さんが稀にTwitter上に出現しますが、この主張は全く持ってお門が違います。
治療薬があるという大きな違いもさることながら、高齢者の死亡率が圧倒的に高く、逆に若者は低い。肺炎も起こすし重症化はするし入院期間も長い。
軽傷者を入院させるコロナ対して、「もっと重傷者に医療を届けるべき」というような主張ならまだしも、「インフルエンザの方が死んでんじゃねーか」はちょっと大雑把すぎるなと思うのです。
あくまで、的を得ているかどうかの話です。
人は、なんらかの選択を迫られた時、理解しやすいものや、単調なものを選ぶ傾向にあると言うこともわかっています。
シンプルが正しい、と考えることは、大雑把に考えると言うことではありません。
あくまでもこの考え方は、1つの指針に過ぎず、その中で常に「前提」を自問して、その根拠をしっかりと定義付けを行わなくてはいけないのです。
正しい方は、複雑な説明の方だったと言うことも確かにありますが、まず最初に検討できるシンプルな説明があるのに、それを無視してあえていきなり複雑な説明に飛びつくのは、あまり理屈に合わないと言えるでしょう。
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