挫折、落胆
「まだやれることがあるはずだ」と無作為に取り出したケータイ電話は川に落として泣きそうになる。
お手上げだ。
そんな時は時は学ぶに限る。
目を閉じるように本を読んで、耳を塞ぐようにYouTubeを聞き流して、くだらない情報をシャダンするように考え続ける。
その姿はまさに堂々たる賢明な態度、もしくはアホの骨頂である。
いつもなら罪悪感を感じるような無精な振る舞いもこの時ばかりは穏やかだ。
きっとこれが現時点での最善策だと分かっているからだろう。
思いつくことを片っ端から試して失敗し、次はいけると思ってみてもまた失敗して、自分に暗示をかけるのにも飽きてきたくらいが頃合だ。
何かのきっかけに便乗して全てを捨て置き「学ぶ」姿勢に切り替える。
どうにもならないから何もしない。ただ見て聞いて考える。
人生を変えるような面白いアイディアが浮かぶときはいつだってこんな時だ。
だから、どんなことを思いつくのか自分でも楽しみになる。
きっと何が出るのかわからない5000円ガチャをまわす前の心境はこんな感じなのだろうなと思う。
残念ながら、今の社会システムは不条理にも卑怯者に有利なルールになっており、まともな人間はその時点で大きなハンデを抱えて彼らと勝負していかなくてはならない。
また、当然ではあるが天才と凡人の間にもこういったハンデがゴージャスに存在する
例えば、競走で「平等」を期したいのであれば足の遅い人は前から、速い人は後ろからスタートさせる必要がある。
しかしそれだと「公平」ではなくなってしまうし、そもそもそんなことをしたらTwitterで拡散されていい笑い者だ。だから平等にはならない。
つまり世界は平等でなければ公平でもない。
それなのに直球で勝負を挑もうというのは余程のアホウかパッパラパーか、あるいは余程のアホウかつパッパラパーか。
「アイディア」は凡人が天才や卑怯者に勝つために残された最後の手段。
僕たちには思わせぶりじゃない、新展開な兆しを入れるテクニックが必要なのだ。
ひもを引っ張るとピカっと光る電球のように、意識的にヒラメきを助長させるアクション。それを探せ。
栄光はその先にある。
エイヤー、エイヤー (๑>◡<๑) \(( °ω° ))/
ご講説の意味はさっぱりですが、楽しそうで何よりです。
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