小学生のよういち
僕の全盛期は小学生の時だったと思います
その当時、僕は努力をすれば全てがうまく行く、というとんでもない思考を持っていました。
もちろんカメハメハが打てると考えるほど底無しのアホではなかったのですが、メディアなどで見る複雑な動きを見ても、ちょっと練習すればできるだろう、と考えるとんでもないガキだったのです。
僕には1つ面白い過去があります。
実は、自転車よりも先に一輪車に乗れるようになったんです。
理由は、ただ単純に自転車よりも先に一輪車に乗る練習を始めたに過ぎないのですが、その時の心境を今でも鮮明に覚えています。
「一輪車難しそうだな、やってみよう」ってやつです
ちなみに、僕は大の宇宙兄弟ファンではありますが、決して六太ブっているわけではありません。
分かる人にはわかる
昨日よりも今日、今日より明日。少しづつ進む距離が伸びていく過程がとんでもなく面白かたのです。
乗っては転び、乗っては転びをは何時間でも繰り返しました。
一輪車に乗れるようになると、今度はタケ馬に乗る練習を始めたました。
この時もまた夢中になって、学校が終わると晩飯まで無心でやり続けていました。
僕の学校は当時2000人ほどのマンモス校でしたが、その中でも1番高いタケ馬に乗ることができ、見本として生徒の前に立って実演しました。
逆立ち、逆上がり、マット運動、ギターまで、当時の僕は「できないことができるようになる」この過程が面白く、いろいろなことに挑戦しては、常に誰よりもうまくできるようになっていきました。
まぁそれは単に人よりも回数をこなしていただけに過ぎなくて、自分が天才ではないことに気がつくのは大学になってからなのですが、それはまた別の話です。
初めて組織というのに入ったよういち
器用に何でもこなす僕を見て、周囲は器械体操部に入ることを進めました。
僕は言われるがままに近所のスポーツクラブに入会し、生まれて初めて集団練習というものを経験することになるのですが、この時から少しの問題を感じるようになりました。
自分のペースで練習ができないのです。
週に2回しか体育館に行くことができなければ、「危ないから」と自分のしたい技をやらせてももらえない。
僕はクラブを休むようになります。
当時はクラブが嫌いな理由をそれほど言語化できてはいませんでしたが、今考えると、コレが原因だったと思います。
とはいえ「やりたいことができないから嫌いになる」なんてよくある話です。
これっぽっちの小さな経験で「自分は集団に向いていない」と考えるほど割り切りは早くはありません。
この違和感がピークに達するのはスポーツを引退した後のことです。
それまで体を動かすことしか考えてなかった僕は、コロコロと流れに身を任せてその辺の企業に入社しました。
そこで出会った新しい仕事にも興味を見出すことができ、どうせならこの道で一流を目指そうと意気込み仕事に励みました。
しかし、当然誰もが同じ考えであるはずもなく、仕事に対する価値観のズレはすぐに形となって現れることになります。
「もっと仕事のクオリティーを追求したい」という思いと、「楽を追求したい」という思いのズレです
ちなみに、僕は自分を美化しようとなんて考えていなくて、色々な考え方があっていいと思っています。
ただ、色々な人と出会って、仕事をして、おそらく自分の価値観は少しおかしいと思い始めたのです。
また、その過程で、「仕事を移っていけばいつかは自分にあった組織に出会える」などという不確かな期待をすることも甘いと考えるようになりました。
自分の価値基準はおかしい。
しかし、僕はこの価値基準に誇りを持っていて、下げる気などさらさらない。
組織に属すと仕組上、下げざるおえなくなってしまうし、移って自分の基準にあう組織に出会えるとも思っていない。
僕は一人の方がいいのかもしれません。
それが僕の成長にとって必要なことなのです。
まだフリーで活動しだして間もないですが、この選択がただしいのかどうかはこれから答えが出ることだと思うので、それまでしばらく待っていようとというところです。
実のところ、性懲りも無くまだ甘い希望は捨て切れてはいなくて、僕がそれなりの結果を出すことができれば、面白い人と出会えるのかな?なんていう期待を持っているのです。
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