「賢くなりたい」「感性豊かに話す彼らのようになりたい」
僕はいわゆるアホではありますが、天才になることに憧れて、形だけでもそうあるために頭の良い人、面白い人の言葉や文章を真似ました。
真似るだけでなくなぜ面白いのか、なぜ分かりやすいのか、その根本を理解するよう注力して、一刻も速いアホからの脱皮を目指しました。
もともと僕は語彙力というモノには重きを置いていて、ミーティングやプレゼンなど、あらかじめ話す日程がわかっていれば、それに合わせて「もっと気の利いた言葉はないか」「洒落た言い回しはないか」をギリギリまで考えました
このときの僕は、話の内容がどんなに正しく大切なことでも人はその言葉を理解し行動するほど理性的でないと感覚的にわかっていたのだと思います。
語彙力といのを「難しい言葉を使うこと」と捉えるのは手抜きな考えで、そこを勘違いしてしてしまうとせっかく思考を凝らしたメッセージを発しても「何いってんだ?」「意識高いやつね」と受け取られて終わりです。
感覚的に理解でき、それでいて簡素になりすぎず、印象に残るような言葉を模索する必要があるのです。
例えば、「アップデート」
この言葉は変化の激しい今の時代に持ってこいの言葉だと思います。
向上思考、変化に順応する意欲をさりげなくアピール でき、ほどよく意識高系。感覚的に理解できるのに、なんか賢く見える。
こんな完璧な言葉はそうはありません。
そのほかにも、意見の対立をうまくまとめる「折衷案」とか、リスクの想定ができていることをアピールする「許容」とか、賢く見られる言葉はなんなのか、客観的に理解し意識的に使っていました。
最初はただ「賢く見られたい」という思惑で注視し始めた「語彙力」ですが、これを続けていくうちに僕の中で起きているある変化に気がつきました。
本当に自分が賢くなっているような気がしたのです。
気のせいなのか?
しかし、もしも気のせいでないとしたら僕の中で1つの仮説が生まれます。
「話し方を変えれば思考が変わる」という仮説です
卵が先か鶏が先か、賢い人が賢い言葉を使うのか、賢い言葉を使うから賢くなるのか、一般的には前者でしょう。
しかし、賢く無いのに賢い言葉を使うことを注力し続けてわかったのです。
話し方が変われば思考が変わる、よって頭も良くなると。
人の思考は使っている言葉に概ね比例します。
自分が日常的に使う言葉を意図的に変えることで思考習慣が身につき、使える言葉のバリエーションが増えれば、考え方も多様化します
考え方が多様化すれば自分の主張や固定概念に囚われず、物事を客観的かつ論理的にに見れるようになるのです。
サッカーやバスケが練習して上達するように、文章力やコミュニケーション能力も普段の言葉の選びによって鍛えることができます。これらが優れている人というのは、普段からこういったトレーニングを積み重ねていて、だからこそ日常でも美しい言葉選びができるのです。
極端な話ですが、長文なんてペンを持つことができれば誰でも書けます。
ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああって感じで。
しかし、数こなし培われたスキルほど汚いものはありません。
学びがあって、基本があって初めて人を引きつける言葉が完成します。
たまに巣で人を惹きつけるトークをする圧倒的天才はいますが
スポーツにしても言葉にしても、スキルを上達させようと思った時にもっともいい方法は、その道で活躍するトッププレイヤーの技を見てマネることです。
言葉に自信がない人であっても、マネ続けることで言葉の貯金は確実に増え、表現豊かに物事を伝えることができるようになります。
まずは賢い人同士の対話を聞いたり文章に触るところから初めてください。
そこで見聞きした新しい語句や面白い表現を書き留めるなんなりして、あとは実際に使っていきます。
そうやって少しづつ豊かな言葉を使いこなせるようになり、多様な思考を手に入れることができるのです
コメント